たちばな

                   

一定期間更新がないため広告を表示しています

- / - / -
喪失による悲しみや辛さにぶち当たったとき、他者に語るという方法は有効らしい。実際、私も友人に話したり、文章として書き起こすことで、その悲しみや辛さが軽減されることを実感したことはある。一方で、自分の気持ちを吐き出さずに癒す方法もあり、私は圧倒的にそちらをとることが多い。それは、物語に頼るという方法だ。 小説や映画、劇、歌の世界に入り込むことで、癒されることがある。助けられることがある。私の場合、『きらきらひかる』や『ノルウェイの森』、『RENT』、歌だと『LINK LINK』などがそれだ。なぜ癒されるのか、真面目に考えたことはないが、物語の中の別れとそれに対する感情が、自分の気持ちに寄り添ってくれているような気がするからなのかなと思っている。 カズオ・イシグロ『わたしを離さないで』も、喪失に寄り添ってくれるような、というより何かを失ったときに寄り添いたくなる作品なのかなと思った。特に、どうにもならない、凄まじい喪失に出会ったときに。 いや、でも、どうだろう。私は臓器提供のために生まれたわけではないので、登場人物に感情移入はできなかったが…しかし世の中の不条理とそれに対し何もできない無力感、絶望…それに真正面から向き合ったとき、登場人物の思いが少し理解できるだろうか…。 一縷の希望にかけ、真実が明らかになったとき、登場人物2人には「絶望」しかない、と思うんだけど、最後までそこまでの悲壮感がなかった。それは彼らに確実に終わりがあるからなのか。彼らが最初から、終わりを想定して行動していたからなのか。 人間はいつか終わるものだけど、私はそれを意識しながら生きてはいない。だからこそ喪失にあってしまうと、悲しみや苦しさが半端ではない。 臓器提供という、完全に他者のために生かされる、というのはどういうことなんだろう。常に終わりを見つめて過ごさなければいけない… こう思いを巡らせると、この作品は悲しみを癒してくれるような存在ではないのかもしれない。この作品に頼るようなことがないことを願う…。
読書ぼやき / comments(0) / -
- / - / -
Comment








<< NEW / TOP / OLD>>